最近は月曜の朝になると「今日からまた1週間仕事かぁ。嫌だなぁ。気が重いなぁ。」という気持ちになる事が多いです。
そして火曜、水曜と仕事をこなしていくうちにだんだんと土日の休みが近づいてきて、そこを楽しみに平日を駆け抜ける。
サラリーマンになってからずっとこの繰り返しのように感じています。
もちろん仕事をやり遂げた日は充実感や達成感もあるので、そういった日は頑張った自分を褒めたくなることもあります。
ただ、月曜日の朝はどうしても気が重くなりがちなのです。
こんな人生ずっと続けるの嫌だなあ。さて、どうしましょうか。
-僕の月曜日に関する考察-
月曜日の朝が嫌な理由
月曜日の朝が嫌な理由を書き出してみました。
・金曜日まで9-17時で毎日拘束される(残業があればさらに拘束時間は長くなる)ため何も希望が見出せない
・今日から耐えの5日間が始まるんだという絶望感
・土日で楽しんだ分、月曜日からの生活とのGAPがきつい
・わくわく感がゼロ
→完全に耐えの姿勢になってしまっていますね。こんなんじゃ楽しいわけないって自分でも思います。
学生時代は曜日なんて関係なかった。
今はこんな感じですが、学生時代はこんな気持ちになったことはありませんでした。
学生時代、土日は必ず朝から晩までバイトをしていました。月曜日も授業が3.4限しかなかったため毎週バイトをしていました。
そして、月曜日は深夜1時頃にバイトが終わり、いつもそのままバイトの先輩方と飲みに行ってました。
火曜日もバイトして水曜日は休んで、木金は働いての繰り返しでした。
こんな生活の繰り返しだったため、学生時代は特に曜日を気にしたことはありませんでした。
たまーにカレンダーを見て「あぁ、今日月曜日だったのか」と気づくような感じで、鬱屈とした気持ちになることは到底ありませんでした。
コンスタントに週5日働いていましたが毎日が楽しかったです。
そして、当時は「こういう生活をしていれば月曜日が憂鬱になる日なんて来ないんだろうなあ」と楽観的に捉えていました。
甘かった僕の認識
僕の認識は甘かったのだと社会人になって思い知らされました。
日本のサラリーマンは基本的には月曜日から金曜日までの9時〜5時まで会社に拘束されます。
この辛さを当時の僕は理解できていなかった...
自分のやりたいことをやりたい時にできない不自由さ。
そして、せっかくの土日の休みも、癒しを求めるサラリーマン戦士たちで溢れかえっていて全く心が休まらない。
そしてまた始まる1週間。頑張っても頑張らなくても変わらない給料。
これでは月曜日が嫌になるのも仕方ないなと身に染みて理解してきました。
月曜日が嫌にならない対処法
僕は社会人1年目の時に、月曜日が嫌にならない対処法を探していました。
そして、見つけました。
それは土日に家でひたすら暇にしていることです。
土日が暇だと「どうせやることないし早く会社行きたいなー」という気持ちになってきます。
ただ、途中で
「平日は会社のために精神をすり減らし、土日まで会社のために体を休めるの?なんかアホみたい...」
という気持ちになってきました。
当時は無趣味だったので、それでもよかったのですが、今は土日にもやりたいことがたくさんあります。
時間が足りません。
ですが、土日を楽しみすぎると、それはそれでより月曜日にでかい憂鬱が現れるのです。。。
日本のサラリーマンはみなこのような気持ちを乗り越えているのでしょうか。
僕はこの気持ちをずっと抱えて生きていける気がしていません。。
まとめ
よく「自分のためには頑張れないけど、他の人のためなら頑張れる」というような言葉を耳にします。
家族を持ち子どもができ、一軒家購入とともにローンを背負い、毎週家族やローンのために働かなければならない状況になれば、月曜日が憂鬱だという気持ちは無くなっていくのでしょうか...?
僕にはこの「何かのため」という気持ちが不足しているのでしょうか。
それともただ単に仕事が僕にあっていないだけなのでしょうか、もしくは僕にストレス耐性がないだけなのでしょうか。
いずれにせよ、僕が最終的に目指すべきなのは「月曜日の朝が待ち遠しくなるような生活」な気がしてきました。
曜日を気にしないで生きれるようになりたいです。
今の「月曜日の朝、嫌だなあ」という気持ちを胸に刻みこみ、いつかこの気持ちを無くしてやるという気持ちを持って生きていきます。
なんか書いてたらちょっと気持ちが整理されてきました。
やっぱり書くってすごいです。
追記
バイトの時は働いてて楽しかった(コンビニのバイト以外)ことを
考えると、やっぱり今の仕事があってないことがでかいのかもなあ。
耐えの姿勢の時点でアウトですよね。。
ワクワクする月曜日を手に入れられるよう邁進して参ります。